Chocolat & Akito、Great 3 などでの音楽活動の他にも、近年は新進プロデューサーとして"Sister Jet"や"フジファブリック"など、数多くのミュージシャンを手がけている。
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フジファブリック 1

July 11, 2010

 

 

志村くんが突然旅立ってから、早くも半年が過ぎた。

僕はたぶん、いまだにその事実とキチンと向き合えていないままなんだと思う。

 

彼の音楽を聴く度に感情のコントロールが出来なくなって、涙が止まらなくなってしまいそうになる自分が情けない。

いまだにボックスセットもシングル集も、そして彼が遺した新作「MUSIC」も聴くことができないでいるなんて、

褒められたがりの彼は決して喜ばないだろうに。

 

僕は彼の創る音楽が本当に大好きだった。

 

はじめて出逢ったのは、2003年の初夏だったと思う。

その頃の僕は、Great3がレコード契約からもマネージメント契約からも離れたこともあり、

未来のヴィジョンが不透明な日々を、コンピを作ったり、CMナレーションをしたりと色々な仕事をやりながら、

なんとかやり過ごしていた。

 

そんな折、Great3の担当ディレクターだったコルグ山本氏(あのムーグ山本氏の弟だ)からの電話で

「EMIの新人バンドがプロデューサーを捜しているんだけど、片寄くん興味ある?

音はちょっと真心ブラザーズ風かな!?」みたいな事を言われ、とりあえずEMIへ行って音を聴かせてもらったのだ。

 

初めて聴いた「花屋の娘」、この1曲で僕はフジファブリックを好きになってしまった。

確かに声は少し倉持くんや民生さんを思わせたけれど、音楽性はまったく違った。

叩きつけるようなピアノを軸に、性急なビートで突っ走りながらも、胸をかきむしるマイナー調のメロディー、

マルコス・ヴァーリを思い起こさせる間奏のピアノフレーズの絶妙なセンスにも共感できた。

「もしもっと素晴らしいサウンドに仕上げることが出来たら、きっとたくさんの人が泣きながら踊れる、

でもひねくれた、前代未聞の音楽に化けるに違いない。」そう感じた。

 

担当ディレクターだと紹介された今村くんは、ルックスがどう見ても渋谷にたむろしている大学生、

ヘタすると生意気な高校生にしか見えない若者だったが、その姿に似合わない、彼の音楽に対する熱い気持ちと

フジファブリックへの愛情にも心動かされ、僕は即答で是非やらせてほしいと答えたのだった。

 

その夜帰宅して、妻のショコラに「こんなバンドのプロデュースをすることになるかも」とバッグからCDを

取り出そうとした瞬間に、点けっぱなしだったリビングのTVから「花屋の娘」のPVが流れてきたことも忘れられない。

きっとチャンネルはTVKだったんだと思う。月並みだけど、ちょっと運命の流れを感じた夜だった。

 

そしてついにEMIで志村くんと金澤くんと顔合わせとなる日が来た。

僕は彼らが好きなんじゃないかと思う曲を勝手にコンパイルして作ったMIX CDRを持って行った。

たしか60年代の古い音楽から、当時気に入っていた「House of Jealous Lovers」を出したばかりだった

The RaptureとかFlaming Lipsなど、色々と入れて。

 

何を話したのかは、あんまり憶えていない。

たしか志村くんは僕か、オリジナルラブの田島くんにプロデュースを頼みたいと思っていたと話してくれた。

金澤くんが僕も尊敬するキーボーディスト、小川文明さんの弟子だと聞いて驚き、かつ納得させられた。

僕はどれだけフジファブリックの音楽が気に入ったか、心のままに話した。

 

ブラジル音楽が好きで、インディー時代の渋い音も好きだけど、これから創る音は今までより

もっとエッジの立ったロックサウンドにするべきだというヴィジョンで意見の一致をみた僕らは、

まず一緒にスタジオに入ってみようと決めた。

 

その後、新宿LOFTで行われたインディー盤「アラモード」発売記念ライブを訪れ、まだまだ未完成ながら

才気溢れるライブも堪能した。

その夜共演した、メレンゲ、残像カフェといったバンドも初めて観たのだが、上の世代でいうとスピッツ、

僕らの世代で言うとサニーデイ・サービスが体現していたような要素を、また違った形でユニークに

提示してくるバンドがいるんだな、というのが興味深かった。

ちょっと下の世代だと、ZAZEN BOYSやくるりなど、いつも素晴らしいと思っていたが、そのまた下から、

面白い世代が出てきつつあることを実感させられた夜だった。

 

それから一緒にスタジオに入るまでの短い間に、フジファブリックは変化を遂げていた。

同郷で志村くんの親友だったドラマー、タカさん。

志村くんが彼の叩き出す、ある種「いなたい」ビートセンスが大好きだったことを僕は知っている。人間性も最高だった。

しかし、あえて彼と別れを告げ、よりロックな方向へ踏み出すために足立房文くんを新ドラマーの座に据えることなる。

そして自分よりもテクニック的に優れた、もう一人のギタリストを求め、山内総一郎くんを加入させた。

こうしてメジャー初期の5人のメンバーが揃ったわけである。

 

デビューに向けて、ついに決まった所属事務所がHit & Runだったことにも繋がりを感じた。

僕は元々ロッテンハッツというバンドでデビューして、当時はHit & Runの親会社であったSMAに所属していたから、

原田さんのことも知っていたし、何よりチーフ・マネージャーの山岸ケン、通称「山ケン」は僕が加入する前、

インスト・ガレージバンド時代のThe Great3でメインを張っていた男なのだから。

 

1stシングル「桜の季節」のレコーディングは、今思い返すと、新人バンドと新人プロデューサーによる珍道中だった。

さらにはディレクター今村くんも新人、志村くんが連れてきたエンジニアの川面くんもほぼ新人、おまけに

現場マネージャーの大森さんまで新人だったのだから面白いものだ。

もしかしたら全員が手探り状態の悪夢的な状況だったのかもしれないけれど。

 

「桜の季節」という楽曲は、決してシングル向きの派手なメロディーを持つ曲ではないと思うのだが、

一見ぶっきらぼうな志村くんの声で歌われると、とたんにクセになる不思議な魅力を持っていた。

僕は彼の曲に含まれているファンキーな要素が大好きだったのだが、この曲も、いなたいファンキー感が肝に思えた。

そしてそれに絡んでくるピアノが重要になってくることはデモからも明白だった。

それは僕にチャズ・ジャンケルがいた頃のイアン・デューリー&ザ・ブロックヘッズを連想させた。

 

プロデューサーには色んなタイプの人がいる。自分固有のサウンドを持っていて、手がける誰もをその色で染め上げる、

トッド・ラングレンのようなタイプのプロデューサーもリスナーとしては楽しい。

でも僕は、特にバンドに対しては自分の音を押しつけるつもりは毛頭無かった。

なぜなら自分もバンドマンとして、それでは真の意味でバンドの音は創ることができないと知っていたから。

 

僕はキャリアの中で出逢った、佐橋佳幸さん、長田進さん、そしてジョン・マッケンタイアという三人三様に

それぞれ素晴らしいプロデューサーのやりかたを頭の中で思い出しながら、自分なりのスタイルを探した。

 

誰にも似ていない「フジファブリック」というバンド固有の音を産み出すために、6人目のメンバーとして様々な

アイディアを提示しながらも、基本的には彼らの中にあるものを引き出すのが僕の仕事で、そこからアルバムを

創り上げるべきだと感じていた。

と同時に自分の名前がプロデューサーとしてクレジットされる以上、心底好きになれるような音楽に仕上げる責任もあり、

その落としどころには悩んだが、とにかく始めてみないことには何も分からない。

 

志村くんは自分の文学的な詞がひ弱に受け取られ、ともすると「喫茶ロック」といわれるようなこじんまりとしたシーンに

収められてしまうことを危惧していた。

そんな彼の心配が痛いほど分かった僕は「誰にもなめられないような強い作品に仕上げよう」と彼と約束した。

 

しかしメンバーは5人揃ったものの、その段階ではバンドとしてのサウンドはまだまだ未知数な状態だった。

新加入の総くん、足立くん、ともに年齢にそぐわぬテクニカルなプレイが出来る、実力あるミュージシャンだったのだが、

それを志村くんが考えるロックの美学にどう落とし込めるのか模索中だったということだろう。

 

その美学とは巧く演奏できれば出せるという種類のものではない、とても言葉にしにくい感覚だったが、

志村くんと僕はその点において初めから不思議とセンスを共有できていた。

金澤くん、加藤くんもそれに応えるべく、抑制された渋さと情感暴れる若さという、相反する要素を兼ね備えたプレイが

出来つつあったが、新加入の二人にはもう少し時間が必要だったのだと思う。

 

志村くんの印象は「暗い目をした少年」だった。

中原中也の有名な肖像写真を思い出させる、よく写真で見せるあの顔だ。

でも不思議と陰鬱な感じはまったく無く、むしろ鋭く純粋でありながら柔らかく純朴なオーラが

彼に信頼感を与えていた。そして可愛い笑顔の持ち主でもあった。

 

おそらく自分の気持ちを言葉で表現するのは、あまり得意ではなかったんだろうと思う。

イメージする音がメンバーに伝えられず、ひとりスタジオの隅で黙り込んでしまう時もあった。

 

僕は彼が何を求めているのか、いつもそこに注意をはらおうと決めた。

初めの頃、レコーディング中の会話はとてもシンプルだった。

気乗りしないときの「そうっすねぇ。。。」と、なかなか面白そうと思ったときの「そうっすね!」の違いを聞きわけ、

たまに僕のアイディアが気に入ったときに出る「いいっすね!!!」を励みに、彼が求めるサウンドを創ろうと、

メンバーと一緒に試行錯誤したものだった。

 

しかし僕は僕で、Great3の時にはあんなにも簡単に表現できた理想のサウンドが、プロデューサーとして

なかなか一人では創り出せないことに、内心焦りを感じていた。

志村くんが求めるサウンドが理解でき、頭の中で鳴っているにも関わらず、それをスピーカーから

鳴らすことが出来なかったのだ。

カップリングの「桜並木、二つの傘」は、なんとか納得できる出来に仕上げられたものの、

「桜の季節」には個人的にもっと行けたはずだと悔いを残してしまうこととなった。

 

僕はミュージシャンとしてではなく、プロデューサーとして音楽を捉え直す必然に駆られた。

それ以来、日常の音楽の聴き方も一変し、純粋なリスナーとしてだけではいられなくなった。

とにかく求める音の創りかたを知りたかった。

 

ちょうどその頃、リミックスだベスト盤だと、Great3のマスターテープに触れる機会の多かった僕は、

EMIの倉庫にあったマルチマスターを開いて、自分の好きな音がどう創られていたのかを再度学び始めた。

 

つづく。

 

 

sakura.jpg

 

 


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