Chocolat & Akito、Great 3 などでの音楽活動の他にも、近年は新進プロデューサーとして"Sister Jet"や"フジファブリック"など、数多くのミュージシャンを手がけている。
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フジファブリック 2

July 12, 2010

 

 

 

フジファブリックは四季盤と呼ばれる、春夏秋冬をテーマにしたシングルを4枚出すことが決まり、

メジャーからの1stアルバムは秋盤と冬盤の間にリリースすることが決定した。

そのため2004年初頭から夏の終わりまでは、たくさんの時間を彼らとスタジオで過ごすこととなった。

そして2ndシングルのために志村くんが用意してきたのが、名曲「陽炎」だった。

 

バラードにしたくなるほどに美しく叙情的なメロディーを持った曲だったが、これこそ泣きながら踊るような、

暴走するセンチメンタリズムを、あのたまらない感覚を盤に刻みつけるにふさわしい曲だと感じた僕は、

今度こそメンバーにとって、僕にとって、心の底から納得できる仕上がりにすることを心に誓った。

 

あまりにも夢中になっていたのだろうか、レコーディング中の記憶はあまり残っていない。

とにかく志村くんが納得するまで、僕が納得するまで、徹夜に次ぐ徹夜の作業が続いたような気がする。

 

こだわったのはアナログ楽器。特にキーボードのサウンドだった。

1stシングルでは生ピアノではなく、ノードエレクトロのデジタルピアノを使用したのだが、

フジファブリックの音楽には本物の楽器が似合うことを一度のレコーディングで痛感していた。

 

以降、ダイちゃんにはグランドピアノ、ピーピーいう60年代のコンボ・オルガン、暖かなハモンド・オルガン、

妖しいミニ・ムーグ、珍しい楽器ピアノルガン、さらには定番のウーリッツアー、フェンダーローズなど、

最近のバンドでは滅多に使われることがないヴィンテージの名器ばかりを弾いてもらうこととなる。

 

中盤のギターソロにはみんなで悩んだ。「泣ける」ソロにしたいのは誰もが同じ気持ちだった。

しかし総くんがいくら思いっきり感情を込めて、テクニカルに弾ききり、素晴らしいテイクが録れても、

それが曲の中ではどうしてもしっくり聴こえてこなかったのだ。

 

「泣ける」と言っても、この曲が求めていたのはサンタナのような、いわゆる「泣きのソロ」ではなかった。

ダサくなるギリギリのところで、クールに、でも叙情的に泣かせてくれるソロがベストだと僕は思っていた。

突然ひらめいた僕は、マスターに残されていた総くんのギターソロをすべて逆回転にし、聴き直し、

それらを繋げて1本の逆回転ギターソロを完成させた。

その瞬間これだ!と鳥肌が立ち、テンションが上がったことを憶えている。

 

こうして出来上がったソロを聴いた総くんは、一瞬面くらいながらも、すぐに「カッコいいなぁ!」と笑顔を見せ、

その翌日には「ほら、片寄さん!」と逆回転ソロをそのまま空で弾けるようになり、みんなを驚かせた。

まだ若干22歳だった彼は、この陽炎レコーディングから、自分のスタイルを徐々に確立し始め、

来るアルバムレコーディングに向けて、フジファブリックの中で果たすべき役割を掴みはじめてきたように思えた。

 

歌入れも忘れられない。

後年志村くんは自分の歌声に悩みを抱えていたようだったけれど、僕には初めから完璧に思えた。

事実、1stアルバムの歌はすべて素晴らしいと、今も僕は思う。

特にこの陽炎は最高だった。歌入れの時はいつもナーヴァスになる志村くんのため、僕とエンジニア以外の

メンバー・スタッフには外で待機してもらった。

 

そして彼が歌い出した瞬間に僕は魅了された。

その朴訥としながらも、聴く者の心の奥底に爪を立てる歌声に、録音しながら何度も涙をこらえた。

 

出来上がったテイクを志村くんに聴いてもらうとき、自信を持って「最高の歌が録れたぞ~!!」と言ったら、

「ありがとうございます!」と嬉しそうに笑った顔が、今も心に焼き付いている。

 

その後、録りを担当してくれたエンジニアの川面くんと一度はミックスダウンを試みたものの、

僕はどうしても納得できる出来に仕上げられなかった。

理想とする「柔らかな竜巻」のようなサウンドを得ることができなかった僕は、スケジュールと予算の超過を

スタッフに詫び、プロデューサーとしてまだまだ未熟だった自分に力を貸してくれる、昔なじみのエンジニア陣と

連絡を取った。

 

そしてマスターを持って僕がひとり訪ねたのは、コーネリアスやくるりとの仕事で有名な、自分もGreat3やソロ、

ショコラで何度もお世話になった鬼才、高山徹さんの当時六本木にあったスタジオだった。

 

そのとき「陽炎」のミックスダウン作業を、長時間黙って後から見させていただいたことは、とても勉強になった。

自分の理想とするサウンドが、エンジニア的にどう構築されていくのか、どういったマジックが行われているのか、

片鱗だったかもしれないけれど、それを意識的に体感させてくれ、僕の素人のような疑問や質問にも根気よく

答えてくれた高山くんには本当に感謝の気持ちでいっぱいだ。

(その後高山くんは、アルバム「TEENAGER」、新作「MUSIC」などを手がけ、フジファブリックにとって

欠かせないエンジニアのひとりとなる)

 

ノスタルジックな歌詞と連係した素朴でピュアなメロディーを芯に置きながら、それをリヴァーブやディレイを駆使した、

ある意味ではフィル・スペクター的とも言える、柔らかいけど派手な「音の竜巻」で封じ込めたミキシングサウンドは、

自分にとって理想としていた、暴走するセンチメンタリズムそのものに思えた。

 

深夜になって、メンバーに仕上がりを聴いてもらう時が来た。

僕は「どうだ!」という気持ちでいっぱいだったが、仕上がったミックスを聴いたメンバーは、

一様に黙り込んでしまった。

小声で「すごいですね。。。」とは言いながらも、一夜で録り音から、かなりの進化を遂げた音像を

急には受け入れることができないでいるように思えた。

 

そんな沈黙を破ったのは「カッコいいっす。これで行きます!」という、意を決した志村くんの一言だった。

彼の言葉にホッと胸をなで下ろした頃、六本木の街にはすでに朝日が昇ろうとしていた。

 

カップリングの「NAGISAにて」を含め、このシングルは四季盤の中でも、かなり強力なシングルだったと思う。

ヴィンテージ・キーボードの音が効いた、初期フジファブリックのバンドサウンドがこの5人で確立されつつあった。

 

「陽炎」はタイアップが付いたわけではなかったが、全国のFMやCS放送で多くパワープレイされ、たくさんの人に

フジファブリックを知ってもらうきっかけの1曲となり、ようやく僕も少しだけ肩の荷を下ろせた気がした。

 

まだ少々時間がかかりすぎてはいたけれど、やっと求める音を手に入れることができ始めていた。

そして何より、自分にとっても100%自信を持って納得できる仕上がりにできたということが嬉しかった。

 

つづく

 

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