
篠山紀信というブランド管理。
和田誠の「銀座界隈ドキドキの日々」に記されている
アーヴィング・ペンがライトパブリシティに訪れた際に
シノヤマミチノブが「シノヤマキシン」と名乗ったあの瞬間から始まっているのだろう。
「自分には過去も未来もない。あるのは今だけ」という言葉どおり
自分の作品を総括したりする作業をしていないのは
巨匠という名声とともに過去の人へと退き去られることへの抵抗であり
時代と添い寝し続けることがブランドへの大きな要求でもあるからだ。
経歴や知名度に比べれば写真集としての数は意外に少ないが
それらの多くが自分の本棚に並ぶのは時代の一部として変換されても
決して裏切られるものでないからだろう。
今までに撮ってきたヌード写真をまとめた「NUDE by KISHIN」を出版すると知ったときも
それが回顧的なものでないということはわかっていたはずだ。
紙や印刷がとても上等とはいえないもので発表された
あの「デスバレー」や「オレレオララ」「ハイ!マリー」などが
映画のデジタルリマスターのように新たに製版され最近の作品と同等に並んでいる。
これが集大成にみえないのはやはり女優や女子大生の裸を撮りまくった
激写の80年代がズッポリ抜けているからだろう。
篠山紀信の写真集にしてはずいぶんアートよりに感じさせるこの本の出版の意図を感じながら
少し腑に落ちないでいる自分にヌード写真というものを男の目で見ていることをあらためて知る。